介護4肝硬変の母を自宅で介護する

あれから1年が経とうとしています

いろんなことがありすぎて、ブログどころではありませんでした…

 

ケアマネとして、皆さんと情報共有していこうと決めていたのに、ホントにごめんなさい

 

令和元年6月1日

母は家族に見守られながら

自宅から旅立ちました

 

まだまだ気持ちの整理がつかず

途方にくれております

 

お葬式で

3人の子供達が

手紙を読んでくれました

 

いちばんしたの息子が読んでくれた

手紙の下書きがありました

 

 

ばあちゃん
聞こえてますか
星也です。

 

ばあちゃんはぼくをとても可愛がってくれました。

いつも、僕たち兄弟のことを一番に考えてくれていましたね。

 

そんなばあちゃんが体調を崩したとき、少しでも元気が出るようにと思い立ったのが、学校から帰ったときに、元気にハイタッチをすることでした。

 

それが僕にできるささやかな恩返しだと信じて、毎日続けることを自分と約束しました。

ばあちゃんはどんなに体調が悪いときでも、ハイタッチに応じてくれました。

 

はじめは、ばあちゃんのためだったその小さなイベントは、いつしか僕の楽しみになっていました。

 

僕が落ち込んでいるときは、ばあちゃんとのハイタッチが僕の支えになりました。

 

亡くなる前の日まで続けたハイタッチの思い出を僕は一生忘れません。

 

ばあちゃん、今までありがとう。

 

あなたは僕の自慢のばあちゃんです。

 

 

母は孫たちの手紙をお土産に

懐かしい人達と

再会できたと信じています

 

 

介護4肝硬変の母を在宅で介護する

退院してきて3ヶ月

一生懸命頑張ってきた

終わりの見えない、介護の毎日

 

二度と入院はしなくていいように

在宅介護を選んだつもりだった

 

在宅で介護

 

あるお医者さんからは、家族が壊れるから

やめときなさいと言われた

 

何度も壊れそうになった

理想と現実

踏ん張るのが辛かった

 

在宅でお世話になっている病院から

レスパイト入院の提案があった

 

仕事の休みに合わせて

母が入院することになった

 

子供達が一気に明るくなった

おばあちゃんは大好きだけど

たくさん我慢をしていたんだと思う

 

夏休み

どこに行こうかな…。

介護4肝硬変の母を在宅で介護する

お風呂は週3回

自宅でヘルパーさんの支援で入っている

デイサービスに週3回通っているけど

デイサービスでは入っていない

 

からだを動かすと

SPO2が90%をきってしまうから

デイサービスの戦場のようなお風呂には

入れない

 

自宅のお風呂、深すぎて跨げないから

介護保険で住宅改修することになった

浴槽の取り替えと、床の張り替え

昔ながらのお風呂だったので

滑りやすく冷たいタイルの床が

ユニットバスのような、柔らかい床になるのは

とっても良かった

 

早くできあがって

ゆっくり浴槽に浸かってほしい

 

最後に湯船に入ったのは

入院の前日だったっけ…

 

4ヶ月ぶりのお風呂を

楽しみに頑張ろう❗

介護4肝硬変の母を在宅で介護する

デイサービスに週3回行くことになった

馴染みのデイサービス

 

仲良しだった皆さんが

あたたかく迎えてくれた

母はみるみる元気になった

 

人の力は素晴らしい

 

あんなに心配していた声は出さない

必死にこらえているのだろうか…?

笑顔で過ごしている母を見て

思いきって良かったと思う

 

家に帰ると、ぐったりだった

人前で気をはっているのだろう

夜は大きな声を出すようになった

バランスをとってるのだろうか

 

父が少し休めるように

母は頑張ってるのだろう

 

私も頑張ろう❗

 

介護4肝硬変の母を在宅で介護する

夕べは何度も目を覚ました

排泄後はしばらく起きている

声は気になるが、

私の方が先に眠りにつく

 

疲れている…

 

夜中の授乳が辛くて泣いたことがあった

子育ては楽しいし、先が見える

それでも辛い時期はあった

 

今は先が見えない

長くて暗いトンネルのように…。

介護4肝硬変の母を在宅で介護する

父は疲れていた

 

からだを休めるために

夜は別室で寝ることになった

夜眠ることができても疲れていた

 

87歳だから仕方ない

 

自分が介護を受けてもいい年齢になった

元気といえば元気にしている

昼間仕事をしているわたしに代わり

洗濯や掃除をしてくれる

感謝しかない

 

父は気持ちが滅入っていた

精神的に疲れていた

 

昼間一人で母の世話をするのが

辛そうだった

すっかり弱った母を見るのが辛いのだろう

意味もなく  あー、うー、と声を

出している母のこと

受け入れることができないんだろう

 

昼間を何とかしなければ

 

そう思ってた頃

母がまたデイサービスに行くと言い出した

父のことを気づかっているようだった

 

みんなに迷惑をかけたくない…。

 

迷惑なんて思ってないけど

体調落ち着いてきたから

とりあえず行ってみることにした

 

デイサービスでも声を出すのだろうか

変わってしまった母のこと

周りの人はどう思うだろうか

今まで通りに話ができるのだろうか

 

心配はつきなかった…。

 

介護4肝硬変の母を在宅で介護する

少しずつではあるけれど

夜眠れるようになってきた

 

夜中も4~5回起きるけど

1時間半位は眠れるようになってきた

その間に爆睡した

とにかく眠れる間に、からだを休めた

 

なんだか授乳中の頃を思い出した

 

2時間おきに目を覚ます我が子を腕に

辛くて泣いたことがあった

母もいっしょに泣いてくれた

励ましてくれた

あのときは、ありがとう

また頑張るよ❣️

 

少しずつ

ほんとに少しずつだったけど

よくなっていった

介護4肝硬変の母を在宅で介護する

退院して1週間は地獄のようだった…

 

介護サービスは

あらゆる経験と知恵を振り絞り

なかなか充実した内容だった

土日は家族で手分けして介護した

母もとっても嬉しそうだった✨

 

夜は地獄だった

 

退院前日もアンモニア値が200台まで上昇

点滴の処置を受けていた

退院の次の日も点滴を受けた

 

肝性脳症の特徴の昼夜逆転が始まった

昼夜逆転というよりも、

昼間もあまり眠ることなく一日中起きていて

興奮状態だった

 

昼間は比較的落ち着いていたが

夜になると、近所中に響き渡るような声で

あーとも、うーとも、言えない

声にならない声で叫び続けた

ベッドの柵に掴まって

からだを持ち上げては、力尽きる

一晩中起きていた

何を言っても聞いてくれなかった…

 

一晩中起きてつきあった

何をするか予想がつかなかったから

時々声をかけながら見守った

 

徹夜が3日続いたときは

信号待ちで眠ってしまった

このままでは、事故に遭うと思った…

 

訪問看護さんに相談して

先生が薬を処方してくれた

少量から試してみて様子をみていき

少し増えたところで、少し落ち着いてきた

 

落ち着いてきたところで、母が言った

『わかっていたけど

   どうすることもできんかった。

   ごめんね』

一番辛いのは母だった

介護4肝硬変の母を在宅で介護する 《薬のこと》

退院時、利尿剤中止になる

以前から慢性心不全

浮腫を軽減するために処方されていたもの

 

脱水傾向になったときに

肝性脳症を発症しやすいとのことだった

利尿剤飲んでたのに

水分補給を怠った結果だったんでしょ

看護師さん?

 

退院して暫くして足が浮腫みだした

退院時46.5㎏の体重は

みるみる増え58.5㎏になった

利尿剤、再開になり

少しずつ浮腫も軽減していった

 

浮腫がひどいときは

足が踏ん張れないと言った

ベッドは一日中、35°までギャッジアッブした

頭を下げると胸が苦しいと言った

足は毛穴から水が吹き出しそうだった

 

お薬と水分摂取量調整してもらいながら

体調は落ち着いていった

 

お薬の力はすごいですね❗

介護4肝硬変の母を在宅で介護する

入院中、母を見るのが辛かった

体調面より、精神面が辛かった

 

仕事では

いろんな利用者さんを見てきた

 

認知症のご家族…

家族の気持ちわかっているつもりでいた

 

わかるはずがなかった

 

母は認知症が進みましたね~と言われていた

認知症はある日突然はなりませんよ

母は認知症じゃありませんよ

きっと何かの間違いです

 

目の前の母と、認知症

どうしても受け入れられなかった

違う理由を探していた

 

随分たって肝性脳症だとわかったけれど

母の異常な言動

目の前の現実を受け入れられなかった

受け入れるまでには相当な苦悩があった

 

認知症のお父さんと娘さんに、担当者会議でお会いした

娘さんに、少し母のこと 自分のことを話して

お父さんのこと、本当に大変ですね

お辛いですね

今は心からそう言えます

今までは、口先だけのねぎらいだったと思います

ふたりで涙した

 

家族の苦悩

 

受け入れるまで

受け入れてから…

これからは寄り添って行けそうな気がした。

ケアマネさんの私にとって

必要な時間なのかもしれない…

貴重な経験かもしれない。

介護4肝硬変の母を在宅で介護する

お母さん

お帰りなさい

 

昨日も肝性脳症の点滴を受けている

 

脳症が起きてからは

人格が変わってしまった…

命が助かっただけでもよしとしなければ

昏睡状態の時は

何度ももうだめかもしれないと思った

 

せっかく帰って来たのだから

前を向いて歩こう

 

今日はゆっくりおやすみなさい❗

介護4肝硬変の母を在宅で介護する 《退院編》

いよいよ退院の日がやってきた

いろいろとお世話になりました…

 

退院の時

エレベーターの前のナースステーション

担当の看護師さんが

『○○さん退院で~す』

たくさんの看護師達がエレベーターが閉まるまで見送る姿を何度も見かけた

 

さあお母さん家に帰ろう

 

『○○さん退院で~す』

 

誰も見向きもしない

師長さんの背中が見えた

びくともしなかった…

 

むなしさが込み上げる

仕方ない。後半は文句ばかり言っていた

感情的になることあった

 

担当の看護師さんが、後ろを振り返り

ばつの悪そうな顔をしていたのが印象的だった

 

エレベーターのドアが閉まる

2度と来ないと、気持ちを切り替える

 

さあ、帰ろう❗

 

介護4肝硬変の母を在宅で介護する 《退院編》

区分変更申請の結果は

要介護4だった

不服はなかった

 

まずは在宅診療の先生を決める

仕事でお世話になっている

○嶋先生と決めていた

訪問看護部の部長さんにお願いをした

快く受けていただいた

 

よかった

 

退院までの間も何度か点滴を受けた

夜間に眠らないのでと言われ

眠るまで付き添いをした

あーあーうーうー

大きな声を出す

何日も付き添った

アンモニア値が高くなるとおかしくなり

やがて眠りこけることになる

家に帰ることが不安になるときもあった

退院の前日もアンモニア値が上がってしまった

 

サービス担当者会議

介護保険サービスを受けるためには

必ず行う必要がある

いつもは開催する立場だが

今回は家族として参加する

退院まであと一歩

 

かなり準備も整ってきた!

 

 

 

介護4肝硬変の母を在宅で介護する 《退院編》

退院までは

介護保険の認定を待つだけのはずだった

なのに母は意識が混濁することが増えた

病院に行くたびに

怒っているか

眠っているか…

 

『2日も目が覚めないんですよ』

との報告を受ける

当直の若い先生に診てもらう

 

血液検査の結果

アンモニアが脳にまわっている

とのことだった…

肝硬変からくる肝性脳症だった

専用の点滴ですぐに意識は回復した…

よかった~

 

ってか

何で今までわからなかったのよ💢

 

何週間も何してたの?  

何で外来受診したとき

アンモニア値を調べなかったの?

肝臓悪いの知ってたでしょう?

いろんな思いが込み上げてくるけど

もう何も期待してなかったから

ぶちギレなかった

 

それからも何度か意識混濁しては

点滴を受けた

 

目覚めても、何かが違ってた

 

大好きな病院だったのに

大嫌い…。

 

早く退院したい!!

介護4肝硬変の母を在宅で介護する 《退院編》

もう少しの辛抱だからと言い聞かせ

病院に母をもどす

 

そして、退院に向けて準備を始める

仕事柄、ここらへんはお手のもの!

 

まずは、介護保険の区分変更申請

これまでは要介護1の認定だった

要介護1では

十分なサービスが受けられない

 

母の状態から、

デイサービスは暫く行けない

訪問で医療、看護、リハビリを受けなくては

父ひとりで介護はできないから

ヘルパーさんにも来てもらいたい

お風呂入れないから

訪問入浴サービスも必要になる…

 

そこで

今は介護1の状態ではないですよ

必要なサービスが受けられませんよ

というときに

今の状態で介護保険の認定をお願いします

ってことになる

 

さっそく担当のケアマネさんに

手続きをしてもらう!

(親族の担当はしないことになっている…)

ケアマネさん、急に忙しくなって

ごめんなさ~いm(_ _)m